•靴を揃える
•綺麗な言葉を使う
•背筋を正す‥
僕は学校や親から教わる、この“型”というのが大嫌いだった。
他人のお利口さんというレールの上に乗せられるような気がして、ちゃんとやってる子を見ると虫唾が走った。
“なにお利口さんぶってんの?”
そう思わずにはいられないのだ。
だから僕はいい歳こいて靴も揃えない(人の家に上がる時だけちゃんとやる笑)ご飯を食べて「めっちゃ美味い!」と言い、日々猫背で過ごしていた。
特にその自分を省みようとはしてこなかったのは、「これが自分」と開き直ってきたからだ。外側じゃない、内面を見てくれ!と思いながらも人前に出ると“型”を意識して何とか正そうとする。それは「非常識と思われたくない」と外側を意識した自分がいたからだ。
“型”はその人の心を映し出す鏡なのだ。
靴を揃える人は、人生の足元をしっかり見えている。
美しい言葉使いをする人は心も美しくあろうとする人だ。
背筋が伸びてる人は生き方に芯がちゃんとある人。
僕はそのどれも出来ていなかった。
躾って大嫌いな言葉だけど、昔の人が小さな子どもに口うるさく伝えてきたのには一つ一つちゃんとした意味がある。今更かもしれないけど、僕には耳が痛いほど沁みてくる。
✔︎挨拶をちゃんとする
✔︎箸をちゃんと持つ
✔︎感謝を伝える‥
当たり前のことを、当たり前に出来ている人って一体どれだけいるのだろうか?
“型”を繰り返すことは、人としての生き方在り方を整えていくということ。基本が出来てないくせに、個性や多様性と開き直っていいのだろうか?
最近の子ども達は‥と偉そうに言えるほど、我々大人は当たり前のことを当たり前に出来ているだろうか?
人にどう思われるとか関係ない。
自分の在り方を整えるために、一つ一つこれから“型”を意識して歩んでいきたい。