
「おはようございます」
「ありがとうございます」
私たちが子どもの頃から何度も教わってきた日常の“当たり前”。しかし、大人になり社会に出てから、この〝当たり前〟を当たり前にやり続けることが、いかに難しいかを痛感することはありませんか?
私自身、愛知県新城市で「地域の人事部」として人と企業の橋渡し役を担い、様々な現場を訪問させて頂いてます。その中で、日々の業務に追われて挨拶やお礼の言葉が交わされない職場に出会うことも少なくありません。
しかし、新城市玖老勢(くろぜ)にある社会福祉法人鳳寿会が運営する「特別養護老人ホーム くるみ荘」の扉を開けたとき、その空気の違いにハッとさせられました。誰とすれ違っても、明るい笑顔で「おはようございます!」と温かい声が飛んでくるのです。
今回は、採用難と言われる福祉業界において「3年連続で新卒が入社」し、国境を越えたスタッフが生き生きと活躍する「くるみ荘」の組織づくりの裏側に迫ります。介護業界の方のみならず、あらゆる組織で働く人へ、その魅力をお届けします。

「すれ違うたびに挨拶される」複数社から選んだ入社の決め手
「すれ違うたびに『おはようございます!』と挨拶されたことがきっかけで、入社を決めたんです」
少し照れくさそうに話してくれたのは、現場職員の岡本裕貴さんです。岡本さんが以前働いていた介護施設では、スタッフ全員が日々の忙しさに忙殺され、当たり前の挨拶すら交わす余裕がない環境だったと言います。
心身ともにすり減っていく中で訪れた「くるみ荘」の面接日。緊張しながら廊下を歩く岡本さんに、すれ違うスタッフたちが次々と笑顔で挨拶をしてくれました。「ここは、他の施設とは全然違うぞ」と、岡本さんの心に小さな驚きと感動が走った瞬間でした。
当時、岡本さんには鳳寿会以外にも複数社から声がかかっており、条件面で迷う余地もあったはずです。それでも最終的な入社の決め手となったのは、本部長である鈴木孝知さんのお人柄でした。
「うちにおいでよ」
その飾らない、温かく包み込むような一言が、岡本さんの背中をそっと押しました。待遇の良さだけでなく、人と人との繋がりを重んじる風土こそが、岡本さんが心から求めていた職場だったのです。

「こう見えて、人見知りなんです」現場の抵抗感を乗り越えた組織改革への挑戦
「うちにおいでよ」と優しく声をかけた鈴木本部長。実は、以前は大手自動車メーカーの営業として第一線で働いていたという異色の経歴の持ち主です。その後、介護施設の人事・総務を担う管理者として10年以上走り続けてきました。
いつも人懐っこい笑顔を浮かべ、ユーモアを交えて場の空気を和ませている鈴木さんですが、インタビュー中にふとこぼした本音がありました。
「こう見えて僕、本当は人見知りなんですよ」
鈴木さんは、人の感情に深く共感しすぎてしまうため、言葉を慎重に選んでしまうほど繊細な内面の持ち主でした。しかし、管理職として施設を運営していくためには、時に厳しい決断を下さなければなりません。様々な立場の職員の意見を聞きながら、大きく舵を切ることは容易なことではありませんでした。特に立ちはだかったのが、業界全体を覆う深刻な「人手不足」の波です。
「このままでは現場がもたない。何か新しいことを取り入れなければ……」
そこで鈴木さんが目をつけたのが、「外国人の技能実習生」の受け入れでした。当時はまだ近隣のどの介護施設も手を出していない未知の分野。鈴木さんは真っ先にその取り組みに名乗りを挙げました。
しかし、現場からは不安の声が上がり抵抗感がみられました。
「言葉もちゃんと通じるかわからないのに……」
「文化の違う国の方と一緒に仕事をするのは、正直不安しかありません」
岡本さんも当時の現場の率直な本音を語ってくれました。未知の変化に対する恐怖は、どの組織にも必ず起こるものです。それでも鳳寿会は、この挑戦から逃げませんでした。
三河弁を使いこなす外国人スタッフ!?国境を越えた信頼関係の作り方
外国人スタッフを迎え入れた現場では、地道な歩み寄りが始まりました。少しでも彼らが日本の現場に馴染めるようにと、現場のスタッフたちは空き時間を見つけては語学の勉強をし、文化の違いを学びました。
「実は、利用者さんたちの方がすんなりと受け入れてくれたんですよ」 そう笑顔で教えてくれたのは、施設長の林克利さんです。
ご高齢の利用者さんたちが、なぜすんなりと海外から来たスタッフを受け入れることができたのか。それは、既存のスタッフと利用者さんとの間に「確固たる信頼関係」が十分に構築されていたからです。「いつも優しくしてくれるこのスタッフが受け入れようとしている人なら、きっと良い人に違いない」。そんな目に見えない信頼のバトンが、外国人スタッフへと自然に手渡されたのです。
今では、「うちの自慢は、濃い三河弁を使いこなす外国人がいることなんです(笑)」とスタッフが胸を張るほど。ひらがな、カタカナ、漢字、さらに慣用句と、ただでさえ難しい日本語。そのうえ、新城市周辺は独特の三河弁が飛び交うエリアです。
実際の現場を見渡すと、現地スタッフと区別がつかないほど流暢な三河弁で、利用者さんと楽しげに談笑する外国人スタッフの姿がありました。鈴木さんや現場職員たちが諦めずにコミュニケーションを取り続けた努力が、国籍や人種の壁を軽々と越え、施設全体に温かい空気を作り出したのです。

「一番わかりやすい思いやりは“ありがとう”」理念『忠恕』が自然と息づく職場
鳳寿会が掲げる法人の基本理念は、「忠恕(ちゅうじょ)」。これは「まごころとおもいやり」を意味する言葉です。しかし、言葉の意味を知っていることと、それを実際の行動に移せるかどうかは全くの別問題です。
「一番わかりやすい思いやりって、“ありがとう”だと思うんです。利用者さんはもちろんですが、職員同士でも必ず言うようにしています」
そう語る事務スタッフの居沢裕司さんも、この理念を大切にしながら働く一人です。
居沢さんは前職で製造業に就いていました。そこは、日々の業務の中で感謝の言葉を交わすこともなく、ただ淡々と作業をこなすような職場だったと言います。だからこそ、くるみ荘に飛び交う「ありがとう」の多さに驚き、その価値を誰よりも深く実感しているのです。 「ありがとう。おはようございます。そんな日々の“当たり前”のコミュニケーションの中にこそ、真心と思いやりがあるんだと思います」と居沢さんは微笑みます。
特筆すべきは、この「ありがとう」の文化が上司から口酸っぱく指導されたり、研修で無理やり詰め込まれたものではないということです。周りの先輩職員たちが自然にできているからこそ、後輩にも理念が“鳳寿会の文化”として引き継がれてきたのです。
時代が変わっても変わらない想い。3年連続で新卒が入社する理由
新城市の山間部にある「くるみ荘」。都市部のように交通アクセスが抜群に良いとは、お世辞にも言えない立地です。しかし、この施設には「3年連続で新卒が入社している」という実績があります。
次々と入ってくる新入社員に向けて、現場の職員さんたちが背中を通して伝えたい想い。
それは、どれだけ時代が変化しても、「当たり前のことを当たり前にやる」ことの尊さです。
挨拶をし、感謝を伝え、相手の文化を尊重する。その小さな積み重ねが「真心と思いやり」という理念を育み、揺るぎない組織の強さを作っていくのです。
福祉の現場を担うプロフェッショナルだからこそ、決して変わらずに受け継いでいく魂があります。 今日もくるみ荘の廊下では、国籍も年齢も越えた明るい「おはようございます!」の声が響いています。

【企業情報・実績データ】社会福祉法人 鳳寿会
法人名: 社会福祉法人 鳳寿会(ほうじゅかい)
設立: 1981年12月9日
所在地: 愛知県新城市玖老勢字クルミ沢1番地の2
従業員数: 124名(※企業情報データに基づく)
【施設の専門性】 鳳寿会は2000年に定員80名の「特別養護老人ホーム くるみ荘」を開設し、新城市の高齢者福祉の拠点として地域を支え続けています。同法人では他にも、認知症の方に特化し、一人ひとりの個性や生活リズムを尊重した専門的なケアを提供する「グループホームとみさか(認知症対応型共同生活介護/定員18名)」などを運営しています。
【組織力と実績】
先駆的なグローバル人材の活躍: 介護業界での人手不足が顕在化し始めた時期に、他社に先駆けて外国人技能実習生を導入。語学と文化の相互理解を深める独自のアプローチにより、国境を越えたチームビルディングに成功しています。
若手人材の確実な確保: 採用が困難とされる地方の福祉施設でありながら、「3年連続での新卒入社」という実績を持っています。基本理念である「忠恕(まごころ・おもいやり)」 が職場の日常的な文化として定着しており、求職者にとって心理的安全性の高い環境が整っていることが、この定着率と採用力に直結しています。
「挨拶が決め手だった」当たり前を大切にする新城市・くるみ荘の挑戦。変わり続ける鳳寿会の“変わらない想い”