友達とランチを楽しんでいた時のハナシ。
「こないだ、回らないお寿司に連れてってもらったんだ」と友達が話していたのに心がひっかかる感じがした。貸切で専用の板前さんに絶品お寿司を握ってもらって、とても美味しかったという話。
何故に僕の心は引っかかったのか?
帰ってからすぐ掘り下げする。
•裕福な家庭に対する嫉妬心
•“どうせ自分には縁の無い世界だ”という惨めさ
•結局世の中何だかんだ言っても金だよな、っていう僻み‥
色んな本音が渦巻いてくる。
思えば自分の父親も最初は羽ぶりが良くって、よくご馳走食べさせてもらったっけ。でも会社がうまくいかなくなって、気付けばいつも家で酒呑むようになって、家族バラバラになってしまった。父親も借金つくってどこかに消えた。
僕の中に出てきたもの、それは
「男の価値は経済力だ」という思い込みだ。
お金が無くて落ちていく父親を見て、“俺はこうはなるまい”と大企業に入った。おかげで自分が父親になった時、お金には一切不自由はしなかった。
でもそれは本当に幸せだっただろうか?
仕事に追われる毎日、溜まっていくストレス‥経済力を手にした代わりに、失うものがあまりにも多かった気がする。
僕のメリットは
経済力が無ければ家族を養わなくて済む
最低だけど、僕は家庭を養う重圧が苦しくて仕方なかった。お小遣い制だからどれだけ稼いでも見返りなんて無い。本当は父親として家計を支え続ける重圧から、逃げたかった。あれだけ軽蔑していた父の気持ちが理解出来てしまう。
だから僕は脱サラして夢を追えたんだ。お金は無いけど充実した日々。やりがいのある仕事、ストレスフリーな毎日。こうして好きな友達といつでもお話して遊べるようなった。
“やっぱりお金じゃないよな!”
そう言い聞かせることで、甲斐性の無い自分を正当化しようとしていた。
そのはずなのに未だに「経済力=価値」と思い込み、他人に嫉妬し僻んでいる。今年の抱負に「遊ぶように働きながら年商1000万稼ぐ!」と掲げたのも、やっぱり自分の経済力の無さに抗いたかったんだと思う。
でも違うはずだ。
人は生きているだけで価値がある
人に愛を与えて、自分のためにも受け取れる。自分はもちろん、世のために人のために動く。今この一瞬一瞬を精一杯生きることこそ全て。
自分はすでに十分価値がある存在だった。
慰めも正当化も、最初から要らなかった。
自分が自分らしく、背伸びもせず、縮みもせず堂々と生きればいいのだ。
俺はまだまだ他人と比較しちゃうなぁ
子ども達には日々言ってるのに、自分が出来て無かった。身口意一致(身体と言動と意識が一致している状態)を心掛けよう!
気づかせてくれてありがとう!!
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