「日本の教育を変える!」
と意気込んで、各地で森のようちえんやフリースクールを構想を話してやる気に満ち溢れていた頃。何度も何度も言われた台詞
「そんで、結局儲かんの?」
もちろんそれが“食べていけるのか?”という心配で言ってくれているのもわかる。
今日額田で開催されていた森林活用の講演会でも最後の質問で言ってる人がいた。「林業やフォレスター(森林に特化した専門家)なんて儲からない。自分の子どもに継がせたい仕事とは思わない。」
なんて正直な感想なんだろう。
あまりにも資本主義が優先され過ぎて、仕事の優劣を収入や労働条件ばかりでその価値を判断する人があまりにも多くなってしまった。
その結果
長時間でキツくて儲からない仕事は価値が無くて
短時間で楽に儲かる仕事は価値が高い
という価値観が当たり前になってしまった。時間や場所に縛られず、パソコン1つで簡単に稼げる仕事が“勝ち組”と思っている人達にとって、林業や農業なんてその真逆だ。
伝統工芸や教育だってそうかもしれない。
やるリスクやハードルが高い癖に、見返りなんてあるかわからない。「林業の成果を本当の意味で見れるのは100年後」と言われているように、生きている時に結果なんて出ないかもしれない。
でも、現場で働いてる人はお金以外の“何か”に価値を見出し働いているんだ。
それは田んぼに入って共に汗を流す仲間との絆だったり
一本の木が語りかけてくれる歴史だったり
「人間はなんてちっぽけなんだ」と思わせてくれる自然に対する畏敬の念だったりする。
この瞬間ってのはお金なんかじゃ到底計れない。
もっと人間としての根源にある、
“我々人間は大地に生かされている”
という感覚に近い。
土や木や自然に触れることで、その実感を頂いている。もちろんお金を稼がないと家族全員養っていけないという一面もある。経済が物理的に豊かさをもたらしてくれた一面もある。恥ずかしい話僕自身だってそうだ。お金=安心と思い込み、目先の利益を追いかけ続ける生き方を一体何年続けてきてしまったのだろう…
このままで僕らの“心”は本当に豊かになっていくのだろうか?
僕ら人間はお金と引き換えに本当に大切なことを忘れかけているのかもしれない。
自分や自分達の家族だけが幸せであれば本当にいいのだろうか。
昔の人はきっと違ったはずだ。
50年後、100年後の未来のために
この国の将来のために
今自分のすべきことを本気で考え、動いていたんじゃないだろうか。
儲かるかなんてわからない。
この先食べていけるかなんてわからない。
でもその中で、今この世の中に必要だと思うことに、命を賭けてるんだよ。
そういう人達がいたからこの国はなんとか成り立ってるんだよ。現実に向き合い、それでもなお本質を追い求めて挑戦し続ける人達がいる。頼むから軽々しく「儲かりますか?」なんて言わないでくれ。俺ら若い奴らが本気ださなきゃ終わるってマジで。
1人1人が、命を燃やせよ。
そうやって次の世代や
次の次の世代のために生きていこうぜ。
アツく生きましょう。
以上