大学時代、僕はアメリカンフットボール部でした。バッキバキの体育会で、上下関係が全て。先輩の理不尽やシゴキや虐めなんて日常茶飯事過ぎて誰もおかしいと思っていませんでした。僕が尊敬する先輩が鬱になって辞めて、「もうこんな暴力とか虐めは辞めにしましょう!」って監督やコーチに訴えましたが、全く取り合ってもらえず気付いたら次は僕が的にされました。
2012年、僕は製薬会社に入社しました。
大きな会社だったから僕はその中の小さなパーツでしかありませんでした。パワハラ部長で嫁さんが出産するから休ませて欲しいとお願いした時も「この会議を休む意味を考えろ」と言われ、無事出産した後はおめでとうよりも「もうちょっと後に産めないのか…」という言葉が先でした。当時新人だった僕は悔しさに先輩に涙混じりに愚痴を聞いてもらうしかありませんでした。
どの時代でも組織は大きく強く
ちっぽけな自分はいつも被害者で
僕は“1人では世界は何も変えられない”と、思っていたんです。
でも、そんなことは無かった。
僕が勝手にそう思って、被害者を気取っていれば自分を変える必要が無かったからです。
それを一番気づかせてくれたのが30歳手前でサラリーマンを辞めるタイミングでした。安定した収入、まだ保育園に通い出したばかりの小さな息子達を前に本当にやりたい仕事に気付いてしまったんです。でもその仕事の収入は全く見通しがつかず、安定からは程遠い。だから「家族のため」とか「子ども達のため」と言って言い訳を続けていました。
そんな自分が凄く惨めに感じました。
おっかなびっくりですが、そんな自分を変えようと一歩踏み出したんです。
一歩踏み出した先の世界には沢山の素晴らしい仲間や応援してくれる人達がいました。
その後も沢山紆余曲折ありましたが、何とかまだこうしてお役目を頂けて自分の好きなお仕事を続けさせてもらってます。
僕が被害者面して、今も家族や子ども達のためと言い訳して自らが変わることを拒絶し続けていたら、今ロータスにいる子ども達や親御さん達とは出逢えなかった。
森のようちえんだって
駅前で家出した少年少女達にパン配る活動だって
何も始まってすらいなかったと思います。
長々と何が言いたかったかと申しますと、
「たった1人で世界は変えられる」ということです。
それは近所のゴミ拾いのようなどんなに小さな活動でも一緒です。勇気を持って始める人がいたら、その勇気が人々に伝染してその人の周りの小さな世界が動き出す。
僕はフリースクールやっていると、どうしても社会制度を変えないといけない壁にぶち当たります。自分は市長にはなれないけど、市長になろうとしているお友達のお手伝いならできる。
市長になると頑張っているその人が市長になってくれたら、岡崎市が変わるかもしれない。岡崎市が変われば、日本が変わるきっかけになるかもしれない。だからやってます。
僕のブログのタイトル
「日本の教育を変える」
散々タイトル変えなよと言われましたが、僕は誰に何言われようが本気で変える気だから変えません。僕1人だけの力では絶対変えられないけど、僕が動き続けることで1人1人が本気になって日本の教育を変えようと動いてくれれば絶対変わると信じてる。
もしこのブログを読んで
「わたしも一歩踏み出してみようかな」と思ってくれたらめっちゃ嬉しい。
あなたが動けば世界は変わります。
そう信じて、動いてみようよ。