最近村作りのことで頭がいっぱいの今井です。
何故この令和の時代に“村”なのか?
そこんとこをお話します。
まず僕はブログのタイトルの通り「日本の教育を変える」というのが生きる目的です。
保育園、幼稚園を上がったら子どもの希望に関係なく住んでる学区の公立学校に行き、それが合わないと「不登校」なんて言われて問題視されます。環境に合う子が通常で、合わない子が特別であり異常。そんな教育制度を変えたかった。
だから子どもが学校に合わせるのではなく、子どもに合わせた学校を創りたいと考えました。
そこで既存の教育以外の選択肢として「大地の学校ロータス」というフリースクールを立ち上げました。沢山苦労しましたが、おかげさまで毎日元気に子ども達が通ってます。
有り難いことに入学する子も絶えませんが、そろそろ卒業する子も出てきます。僕は学校創りだけではなく、その卒業生達が生きやすいと思える社会を創る必要があることに気付きました。
今の社会は資本主義です。結局どんな素晴らしい個性がある子でも最後は“稼げるか、稼げないか”が問題になってしまいます。
子ども達の個性の中には
すぐに社会に必要とされる分野(動画編集やIT関係など)もあれば、世の中が価値に気付くまでに非常に時間がかかる分野(芸術や音楽など)もあります。進路相談で親が反対する場合のほとんどはその子が“稼げない分野”を目指しているからです。
役に立つ個性(稼げる人)は存在価値が高い。
役に立たない個性(稼げない人)は存在価値が低い。
どうしても資本主義に則って生き方を判断すると、この問題にぶち当たります。
でも本来どんな人間でも生きてていい。存在することに価値があると僕は考えています。花は誰かのために咲いてるわけではないけれど、見る人を癒やす力がある。人も花も、生き物としての本質は変わりません。
だからこそ、僕はこの資本主義に風穴を開けたい。
弱肉強食ではなく、共存共栄。
権力者が仕組みを創るピラミッド構造の社会では、底辺の人達は生きづらい。かといって共産主義のように、みんな一律で平等にしようとすれば「働かない人が得をする」という構図になってしまいます。
だからこそ平等ではなく、公平な自立分散型社会を創る。人と人とが足りない部分を補い合い、個性を発揮して自立しながらも助け合うコミュニティを創ろうという考えに至りました。
資本主義を根本から否定するわけではありません。経済を回し、市場を拡大してきたからこそ僕達の生活が豊かになったのも事実です。でも資本主義が生み出した目に見える価値の裏側には、沢山の人達の精神疾患や環境汚染が存在します。僕も製薬会社の営業マンとして資本社会のど真ん中で生きてきたからこそ、良い面だけではないことを学びました。
だから資本主義以外の新しい生き方を証明したいだけなんです。
完全に資本主義から抜け出すのは僕が生きてる内には難しそうなので20〜30年くらいかけて半資本主義、半自給自足のスタイルを目指す予定です。
そのために山を購入し、開拓して自然と共存しながら生きていく村を創ろうと仲間達と動いています。村を創る過程もシェアしながら、「こんな生き方もありなんだ!」と子ども達に見せていけたら嬉しいです(^^)
同じ想いの方がいたら一緒にやりませんか?
政治や制度が変わるのを待ってても、何も変わりません。自分達でやれることを、自分達の手が届く範囲の社会を創りたい。
今こそ動き出すときなのかもしれませんよ。