「日本の教育を変える」今井真央のブログ

「日本の教育を変える」今井真央のブログ

大地の学校ロータス 森のようちえんサマーブルー 森のようちえん おかざきプレーパークなどの活動日記。2児のパパ。大手製薬企業を脱サラし、日本を変えるために日々突っ走っているヤバい父親のお話

「ごめんね」トラップ

うちの男の子は2歳と0歳。

どちらも好奇心旺盛なお年頃、オモチャも取り合うし喧嘩なんて日常茶飯事。

 

親としてついつい増えてしまう「やめなさい!」「貸してあげなさい!」「ごめんなさいは!?」

 

上の子は賢い。

さも反省した顔で「ごめんねぇ」と言い

親が目を離した隙にパチン!と下の子にビンタをお見舞い。これぞ「ごめんねトラップ」である。

 

大人は何故か本人が悪いと思っていないのにとりあえず「ごめんね」と言わせたがる。

これは何も子供に限った話じゃない。

高校生でも社会人になってもずっとそう。

 

俺は今でも悪いと思ってないのに上司に「申し訳ございませんでした」と言ってる。でも本当に悪いと思ってないからまた同じ事を繰り返す。形は違えど、これも大人版「ごめんねトラップ」

 

でも本当にそれでいいのだろうか?

 

俺はお金を貰ってるからまだ我慢できる。でも子供のうちから何も「ごめんね」と無理に言わせる必要はないと思ってる。

 

これには本当に賛否両論あると思う。

 

でも仮に、子供が「ごめんねトラップ」を完璧にマスターしたとしよう。その子は大人が見ているところでは「すいません、もうしません」と言う。でも子供だけの場所になった時に暴力を振るったり悪さをしたりする。

もしイジメられた子が大人に相談しても、その子はまたごめんねトラップを発動する。

大人は形式で物事を丸く収めようとするから「こうして謝ってるから、もういいな?」と喧嘩両成敗的に無理矢理終わらせる。

そしてまた、見えない場所でイジメは繰り返される。

 

こんなケースは極端かもしれない。

でも本当に「無い」と言い切れるだろうか?

 

大人がついなんとなく「ごめんねは!?なんで言えないの!?」と言ってしまうことは

 

本当にその子が「申し訳なかった」と理解する時間を奪っている気がしてならないのだ。

 

「まだそんな小さな子供に善悪の区別がつく訳ないじゃない!」と思っているそんな貴方のために

俺はある実験してみた。

いつもの公園の砂場で小さな女の子に大好きなトーマスを取られたうちの子は「ダメ!」とすぐに取り返した。

俺は「貸してあげな!」を言わずにじっと待つ。これには実に勇気がいる。

 

でもうちの子はしばらくした後、「どうぞ〜」と何食わぬ顔で女の子にトーマスを貸してあげていた。これが現実だ。

 

子供はバカじゃないし、心が無いわけじゃない。一度叱りたい気持ちをグッと堪えることで、子供同士で仲直りすることだってあると思う。

 

言ってしまうのは簡単だ。

 

答えをすぐに教えてしまうより、〝教えない〟教育。

 

それが僕の理想とする教育です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

森のようちえんのホームページはこちら↓

https://summerblue.amebaownd.com