サイハテ最終日
朝から皆に「真央本当に帰っちゃうの?」って言われて「やめてよー」ってなる。でも出逢いがあれば別れもある。
もうすっかりゲストハウスの古株みたいな顔して、みんなで朝食を作り「頂きまーす🙏」と手を合わせる。最後の朝食までめっちゃ豪華で、みんな持ち寄りで適当に作り、シェアをする。
「これからの教育ってどうなると思う?」
たまたまなのか、運命なのか教育者が大勢ゲストハウスに集合していると朝6時からそんな話題になる。「CHATGPT進化したら殆どの仕事要らないよね」とか「サイハテの子は逆に公立行ってもらいたいわ」みたいな現場ならではの母ちゃん達の悩みもあった。
森のようちえんやフリースクールは繊細な子や特性強めな子にとって大切な育ちの場所だ。一方エコヴィレッジで育った子は全員特異な環境(常にやりたいことに没頭できる環境がある)に慣れ過ぎてて、もはや非日常が日常になっている。
学校行くべきみたいな単純な話じゃなくて、みんな結局「コインの裏も表も両方見て決めて欲しい」という親心だ。それは子どもが多い、定住型エコヴィレッジならではの課題なのかもしれない。なんてあーでもないこーでもない語って、気付いたらお昼ご飯の時間になってた。
サイハテの母ちゃん達の飯を散々ご馳走になってきたが、皆超絶美味しい。食材や調味料にこだわってるし、味付けも優しいからいくらでも食べれる。ウマウマ言ってご馳走になりまくってると「いつも何か食べてよね笑」って笑われる。だってしょうがないじゃん、うまいんだし。
あっと言う間に帰りの時間。
同じ真央の名前を持つ旅人と出遭ったり
俺と全く同じ不思議な体験をしたお母さんや
俺と生い立ちや人生の課題が全く同じおじちゃん
同じ教育の分野で、矛盾に気付いちゃった人達
俺と境遇や経験が同じ人達ばかりで
みんな間違いなく「はじめまして」のはずが「ようやく会えたね」って感じの不思議な出逢いばかりだった。(そして皆も俺に対して同じような事言ってくる)
駅まで送ってくれて「どうせまた会うけど、一旦じゃあね!」って熱いハグしてお別れ。また会えるって確信があるからそこに寂しさはもう無かった。
サイハテで学んだこと。
人も物も金も、消費するのが当たり前になり過ぎてしまった現代社会だからこそ、敢えてその逆を生きることに意味がある。大人が挑戦して、ひたすらに没頭する背中を子ども達に見せ、その文化を伝えていく。
朝から炎天下の中ずっと畑作業しているお母さんに「疲れないんですか?」って聞くと
「私にはこのサイハテをもっとこうしたい!っていうビジョンが明確に見えてる。それを見たいからやってるだけ。だから全然疲れないし、むしろ楽しい」
そう目を輝かせながら語る横顔が忘れられない。
村作りのプロセスとか、マネタイズの仕組みとか
そんなちっぽけなことに拘っていた自分に気付かされる。
人間の本質ってこの人達のような「興味と探究心」なのかもしれない。
もっと○○したい!
こうなったら楽しそう!
その探究心に叶うものなんてなくて
そのワクワク感の前では「結果どうだったか?」なんて問いはあまり関係なくて。
“ただそうである”という今だけが残る。
村人達と語りまくったおかげで改めてそのことに気付かされた。本当にみんなありがとう。
絶対忘れないし、どうせまた会うから
またね!にしとくね(^^)
愛してるよーー!!!!!♡