サイハテ3日目
昨日の夜が楽し過ぎて朝も3:30には目がパッチリ冴える。睡眠時間は外界と違って短くても問題ない。出逢う人出逢う人が面白過ぎて、おちおち寝てもいられない。
「今日はどんな素敵な出逢いが待ってるんだろう‥」
なんて今どき少女漫画でも出てこないような台詞が出てきちゃう。
まだたった2日の滞在で、既にサイハテに来たのは偶然じゃなく全て必然だったと思わされる。
「絶対この経験はしたことないだろ」
みたいな武勇伝的な話しをしようものなら、
「昨日までアマゾンの中ハンモックで寝てました」とか言われる。
自分の世界と視野が如何に狭かったを痛感するところ。それがサイハテ。
3日目はそんな色んな気づきをくれた村に対する恩返しをしようと、畑仕事やお店のレジ、掃除なんかのお手伝いをした。
すると「さっき手伝ってくれたお礼にうちでご飯食べる?」ってなって
「え、いいんですか?行く♡」
(あれ、俺が恩返しするつもりだったんだけどな。まぁいっか!笑)というやり取りが毎回で、持ってきた食材が全然減らない。そして何軒もお宅を周ってご飯食べてると、「もう真央ここに住んじゃえよ」ってなってマジで心グラつく。
誰かのためにすることが、また新しいご縁や返礼品となって自分に返ってくる。
それがこの村の良さで、財布なんてほとんど出さなくても生きていける絶対的安心感がある。そして重要なのが“もっと誰かのために動きたい”が原動力となって、どんどん村や人のためになることをやりたくなる空気感だ。
これが都会じゃ味わえない、ローカルでヒッピーな文化の魅力だろう。
メリットデメリットとか
費用対効果とか
タイム・イズ・マネーで生活している人達にはない。
優しさと、愛だけで成り立ってる。
これが村作りの醍醐味だと思う。
サイハテの設立者とも関わって現実もしっかりインタビューしてきた。ブログやYou Tubeでは書いていない大家さん(サイハテ村を買い取った出資者)との関係とパワーバランス。「お好きにどうぞ」が崩壊した理由と、村のあり方や求められているもの。
さっき優しさと愛だけって言ったけど、実際はかなりシビアな一面もあって。月15000円の共益費を納めない、村のことも手伝わない人が出たときどうするかとか。みんな自分の生活だけで精一杯なのに「サイハテに入村したい」って言ってきた4人の男子を抱えるシングルマザーを受け入れるかどうかとか。お金が絡んでくるとこの資本主義社会の難しさや問題を突きつけられる。
いつも21時に寝てしまう俺が、気付いたら日付変更線を跨いでも、ずっと皆と話していた。
「これからのサイハテ(村作り)はどうなると思う?」
そんな問いに対して村民の意見は様々で
「もう今のサイハテのようなスタイルは一旦崩壊する」という意見もあれば「私はここが大好きだからずっと皆と暮らしていたい」って言う人もいる。定住スタイルじゃなく、廃材エコヴィレッジゆるゆるのような通い型の村にするとか。村じゃなく、もっと沢山の人に開けて会員制の「街」にするとか‥様々な見解や提案があり、そのどれもが俺には魅力的に思えた。
「まぁなるようになるし、どうなっても受け入れるだけだよね」
なんてみんな達観してるんだ。
現状に不満ばかりを言い、自分は一切変わろうとせずに責任転嫁ばかりする人はここにはいない。(今の世の中大半そんな人達ばっかよね)
村作りって水のようだし、人のようでもある。
常に普遍的で、流動的。規則やルールよりもマインドや捉え方がその方向性を決めている。
長くなっちゃったけど、ブログじゃ語りきれないほど考え、サイハテを深く感じた3日目でした。
みんなありがとう!明日帰るのが非常に心苦しいよっ