ポイズン!
どうも今井です。古いっすね(^o^;)笑
今は森のようちえんとか、プレーパークとか、フリースクールとか自分の好きなことを好き勝手やらせてもらってますが、ここに至るまでは紆余曲折ありました。
ずっと以前からブログを読んでくれている方には耳タコだと思いますが、高校時代にアメリカンフットボールに出逢った僕はそれまでのダメダメな人生とおさらばして覚醒しました。
しかし大学に入ってから先輩達からイジメに遭い、学校が嫌で嫌で仕方なくなり、部屋に閉じ籠る生活をしていました。
よくフリースクールの子達が「通学路すら嫌だ」と言いますが、正にそんな感じでした。でも最初から嫌だった訳ではなかったんです。
スポーツ推薦でしたが、選考の時は先輩達がめちゃくちゃ格好よく見えたし、大学のキャンパスには初めて見る女子大生にキラキラした青春を夢見ました。
最初の違和感は2年生の先輩達の“異常なほど”の多忙さでした。
1年生はいいんです。
2年生から掃除や準備、ビデオ編集に洗い物まで、ありとあらゆる雑用をさせられます。練習では最も過酷なシゴキを受けます。
僕の大好きな2年生の先輩は誰よりも声を出し、理不尽な4年生の指示にも文句1つ言わずに手際よく動く人でした。それでいて偉ぶったりはせず、常に「辛いことがあったらいつでも言えよ」と後輩を気にかけてくれる優しさをもっている方でした。選手としての上手さより、人間として素晴らしく立派な方だったので心から尊敬していました。
当時、1年生の僕は「こんな先輩になりてぇなぁ」と思ったものです。
その先輩に、ある日突然白羽の矢が立ちました。
雨の中、永遠にタックル練習をさせられていました。細身な先輩は4年生にボコボコにやられました。そんな状態でも夜遅くまで真面目に雑用をしていました。寝不足でビデオ編集にミスがあった時は、ビデオの角で殴られ流血していました。僕は恐ろしくて恐ろしくて、何も出来ずにいました。先輩の顔色が日に日にやつれていくのを、ただ見ていることしかできませんでした。
僕の大好きだった先輩は、パタリと大学に来なくなりました。
誰よりも努力家で、みんなから尊敬されていたその先輩に向かって、4年生達は「なんだよ、逃げやがって」と言い放ちました。僕は怖さと同時に、怒りを覚えました。誰も言わなかったので勇気を振り絞って監督やコーチにイジメの事実を話し、「理不尽な暴力で優秀な選手が辞めるのはおかしい」と訴えました。
返ってきた答えは
「4年生の先輩達もみんな同じ道を通って強くなったんだ」
という言葉でした。
「だから今は耐えろ」と。
そして皆さんの想像通り、次の標的は僕になりました。その後どんな経験をしたかは過去のブログを読んでもらえればわかります。
おかしいことをおかしいと言えない。
言った人間から潰される。
大なり小なり社会に出ても同じような場面が沢山ありました。せめて、せめて自分の子ども達には同じ思いをしてほしくない。だから自分が出来ることから始めることにしました。僕の手の届く範囲からでも、一人でもいい、少しずつでもいい
優しさで溢れる社会に