5年前、僕は大地の学校ロータスというフリースクールを立ち上げました。不登校児の受け皿としてではなく、新しい選択肢を作りたかったからです。家にしか居場所のなかった子ども達がロータスに通うようになり、自分らしさを取り戻す。親御さんも大変喜んでくれました
エネルギーが足りなかった子にはエネルギーを充電する場所が必要だし。
エネルギーが有り余っている子には発散できる環境が必要でした。
その点では今のロータスは自分の決めたことを自分達で実行できる自由がある。正に子ども達にとって理想の環境になりました。

でもフリースクール側は本当にここままでいいのでしょうか?
自由と責任はセット。
勉強しなくても困るのは本人、仮に仕事に就職出来なかったとしても「本人が人生を決めていくものだから」と自己責任として割り切っていいものでしょうか?
もちろん僕は子ども達が自分の足でちゃんと自分の道を歩いていける力があることを信じています。
でも子ども達の自力を信じることと、なんの道も用意せずただ予測不可能な社会に放り出すこととは別問題な気がします。
入り口を作るだけで本当にいいのでしょうか?
“子ども達の力を信じる”という便利な言葉に甘えて、ただ我々大人が環境を整備することを放棄してないか?
本気で日本の教育を変えるというなら、その先の社会まで変える必要があるんじゃないのだろうか。
果たして今まで我々が作り上げてきた社会は
こんなにも純粋で
何にも染まっておらず
優し過ぎる子ども達を
手放しで送り出せるような環境なのだろうか?
ロータス(蓮の花)は汚い水でも綺麗な花を咲かせるようにと想いを込めました。
強くなくてもいい、小さくてもいい。
どうか自分らしく生きれるようになってくれ。
そのために、俺が死ぬまで出来ることをやり続けるから。