本物の学校を見てきた。
一見すると普通の一軒家。
でもそこには確かに子供達がいた。合計8名の子供達はゲームやスライム作りを楽しんでいた。普通の人からしたら「ここが学校!?」と驚かれるだろう。
でもそこにいる子供達にとってはその学校が〝普通〟だ。テストもなければ学年もない。
でもルールやお金は自分達で決めて自分達できっちり守る。
ある女の子が言っていた。
「保育園も通ったけど嫌になって行かなくなった。」と
僕が「ここに来てからどう変わったと思う?」
と聞くと
「ここではやりたいことが出来るし、友達もいるから言いたいことが素直に言えるようになった!」
これがサドベリースクールである。
〝自分に正直でいられる場所〟
俺がこんな事をいうのはおかしいが少し嫉妬した。もっと早くこんな素敵な学校があれば俺も入りたかったな、とそう思った。
設立者の黒柳さんが言っていた。
「野生児のような子が何も教えてないのにちゃんとした言葉遣いになって相手の気持ちを思いやれるようになっていく」と
それが子供が本来持っている能力なのだ。
手取り足取り教えることが、その子の能力を引き出す近道になるとは限らない。時にはそっと見守るという勇気が親にも必要なのだ。
俺は
サドベリースクール×森のようちえん×木育
を実現したいと言った。
でもサドベリーの理念からしたら、森のようちえんの雨でも外で遊ぶという考えは「不自然」であり、木育は大人の思考が入っていることになる。
そこに〝子供が主体的に決めたかどうか〟が問題になる。
黒柳さんからそう教えてもらって、俺は心底悩んでしまった。
俺の考える「良いとこ取り」学校の「良いとこ」とは大人の俺にとっての良いことで子供にとっては不必要なものなのではないか?と
教育は一つじゃないし、正確はない
黒柳さんから
「あなたのやりたいようにやればいい」
と言われ、俺は勇気をもらうことができた。
自分の作りたいのはどんな学校か、しっかり考える。
思いつきで突っ走ってきたが、今一度足元を固める必要があると感じた。