森のようちえんの年間計画や、プレーパーク、学童などを通じて感じたことがあります。
それは「子ども主体」という場所作りの難しさです。
本来プレーパークにしても、森のようちえんにしても“イベントありき”ではありません。
子ども達は暇の中から遊びを生み出し、遊びの中から学んでいきます。
あれも、これもと大人が用意してしまうと、そのうち「次は何をしてくれるんだろう?」と受け身の姿勢になってしまいます。それでは「子ども主体」とは言えません。
だから暇な時間、与えない時間を敢えて作る。僕がプレーパークや森のようちえんに惚れたのは、そんな仕組みだからです。
ただ、あまりに「子ども主体」にフォーカスして、自由時間ばかりでは親が必要性を感じません。
矛盾するようですが、「子ども主体」の場所に子どもが来れるかは、親が選択権を握っているからです。
親が必要性を感じなければ、そもそも森のようちえんにもプレーパークにも来ない。だから残念なことに日本ではまだ認知度が高くありません。
だから親が「この活動は大切だわ」と体感できるような、親子共に学べるイベントを企画しなければいけません。
それは講演会然り、パパ友交流会然り…
プレーパークで有名なガクさんも、始めたばかりの頃はこう言われたそうです。子ども達と七夕祭りの準備をしていた時に
「ねぇ、終わったら遊んでもいい?」と
この言葉は今も僕の中に大切にしまってあります。
イベントも、暇な遊び時間もバランスよく
そしてその全ては最終的に「子どものため」になっているか
僕は常にその意識で居場所作りをしていきたいと思っています。