僕はよく「奥さんを幸せにする」とか「子どもが幸せでいられる場所を作る」とブログで書いていました。
それについて今日、仲間からこんなことを言われました。
「私は誰かを幸せにするって思ったことがない。“幸せ”は与えるものでも与えられるものでもなく、“幸せだ”と気付いたら感じているものだから」と
僕は結構な衝撃を受けました。
なぜ自分が「幸せにする」と表現したんだろう?と考えました。
育ってきた環境はひと癖ありますが、僕は今とっても幸せな状態にいます。愛する奥さんや子ども達に囲まれて、やりたいことに出会えて本当にハッピーです。僕は「幸せ」は環境や人で変わると思ってきました。
だから奥さんや子ども達が幸せでいられる環境を作りたいと思ったんです。
けど、そのせいか知らず知らずのうちに一方的に「僕が頑張らなきゃ!」と思ってしまっていました。今考えると幸せの定義を間違っていたのかもしれません。
幸せって片方が無理に作ったり、与えたりすることじゃなくて
何気ない日常でふと感じたり、互いに滲み出たりするもんだったんです。
仲間の一言からとても大切な事に気づかされました。まだまだ僕は視点が凝り固まってますね!
でも自分の足りないところに気付けたんだから超有難い。反省は1秒、これから考え方を柔軟に変えていくだけです。
何年かかるかわからないけど、自分の奥さんや子ども達が自分自身で「幸せだなぁ」と感じられるようになってくれたら嬉しいなぁと思いました。
僕の人生、僕のもの
子どもの人生、子どものものですね(^_^)