それは小学校から始まる。
生まれも育ちも考え方もやりたい事もバラバラな子供がただ「同じ年に産まれた」というだけで一つの部屋に押し込められる。
そこはきっちりと机と椅子が等間隔に並んでいて、誰もやりたいなんて言ってない科目を決められた時間に皆同じ教科書で勉強する。
そして中学、高校と計12年間もほとんど同じ生活を繰り返す。
この「授業」という仕組みは産業革命以降全く変わっていない。しかもその異様なシステムに誰も疑問を抱かない。
何故か?
「いい大学に入って、いい会社で働くため」
おそらく100人親がいたら9割はこう答える。
何故子供がやりたい事に目を向けてあげないのか?何故そんなカリキュラムなのか?
俺は疑問を抱かずにはいられない。
俺の同級生はみんな就活でこう答えていた。
「とりあえず内定もらえたらどこでもいいや」
就職氷河期だからか?いや違う。
いざ人生を捧げる就職なのに〝やりたい事が見つからない〟という大学生が今どれだけ多いか、かくいう俺もそんな一人だった。だから別に興味もないMRを何年も続けてしまっていた。
では何故やりたい事が見つからないのか?
それは学校が「子供自身が」考えなくていいカリキュラムだからだ
学校に通うだけでベルトコンベアーに運ばれるように次から次へと宿題やテストがやってくる。3年経ったら受験。みんなが高校に行くから俺も行くか…の流れ。
そこにはその子しかできない「やりたい事」ができる余地は一切ない。
もちろん放課後や夏休みでやりたい事は出来る。ただ自分の気がすむまで没頭することはできない。夏休みが終わるのが悲しいのはその理由だ。
親は自分の子供が予想に反することをやりたいと言うと不安になる。イメージしてほしい、例えば弁護士の子供が「ミュージシャンになりたい!」と言ったら親はどう反応するだろう。
きっと「育て方を間違えたかもしれない」とほとんどの親が思うだろう。
飽きるまでやってみな!とギターをプレゼントできる人がいたらその人は半世紀以上先の教育が出来ている人だ。
本来子供の「やりたい!」にはどんな行動であれ等しい価値があるはずなんだ。
それが勉強や部活なら褒めるのに、なんでゲームや漫画は駄目なのか。一生ゲームをやり続けられる子供はいないし、勉強だけでもご飯は食べていけない世の中になるのに。
子供の「やりたい!」が思うようにできない。
そんな教育をぶち壊したい。
子供がやりたい事を思いっきり好きな時間まで没頭出来る学校を作りたい。
俺は本気だ